だずびだーにゃ

鮭のむにえる

 

毎日に変化が欲しかった

隕石が大量に落ちてきていきなり地球最後の日になったり変なウイルスのせいで人間がゾンビ化したりとかそんな大袈裟な出来事じゃなくてもいい

一生関わることのないと思っていた人からのいきなりの連絡とか家族で海外に移住しちゃうよ!とかまあそんな程度でいい

毎日毎日時間をただ無駄に消費するだけで何も得られない

何もする気にならない

気分転換に出かけてみたりした

楽しかったよとか気分転換になったなんて嘘ついてなんの意味があるんだろう

無駄な毎日、無駄な時間、無駄な人生

わたしみたいな人間が無駄に生きている中生きたかったのに生きれなかった人間がいるのは何故

生死は希望制度にするべきだとずっと思ってる

生きたい人は生きるべきだし死にたい人は死ぬべきである と思わないでしょうか?

自分は死んで欲しくないから生きてて欲しいなんて言葉は傲慢過ぎやしませんか

その人生は「死んで欲しくないから生きてて欲しい」と発したあなたではなく言われた方が行うものであって死にたいのに生きていく為の苦しさを味わう

それならあなたは生きてて欲しい、と言った言葉の責任をとるべきである

それくらい重い言葉ではないのか

その責任を取るつもりでもなく、自分の人生を一番に考えたいのであれば簡単に人に生きてて欲しいなんて言葉を発してはいけないと思う

そういう人にかける言葉として一番良いのは

生きたいなら生きればいいし死にたいなら死ぬべき という言葉だと思う