だずびだーにゃ

鮭のむにえる

 

毎日に変化が欲しかった

隕石が大量に落ちてきていきなり地球最後の日になったり変なウイルスのせいで人間がゾンビ化したりとかそんな大袈裟な出来事じゃなくてもいい

一生関わることのないと思っていた人からのいきなりの連絡とか家族で海外に移住しちゃうよ!とかまあそんな程度でいい

毎日毎日時間をただ無駄に消費するだけで何も得られない

何もする気にならない

気分転換に出かけてみたりした

楽しかったよとか気分転換になったなんて嘘ついてなんの意味があるんだろう

無駄な毎日、無駄な時間、無駄な人生

わたしみたいな人間が無駄に生きている中生きたかったのに生きれなかった人間がいるのは何故

生死は希望制度にするべきだとずっと思ってる

生きたい人は生きるべきだし死にたい人は死ぬべきである と思わないでしょうか?

自分は死んで欲しくないから生きてて欲しいなんて言葉は傲慢過ぎやしませんか

その人生は「死んで欲しくないから生きてて欲しい」と発したあなたではなく言われた方が行うものであって死にたいのに生きていく為の苦しさを味わう

それならあなたは生きてて欲しい、と言った言葉の責任をとるべきである

それくらい重い言葉ではないのか

その責任を取るつもりでもなく、自分の人生を一番に考えたいのであれば簡単に人に生きてて欲しいなんて言葉を発してはいけないと思う

そういう人にかける言葉として一番良いのは

生きたいなら生きればいいし死にたいなら死ぬべき という言葉だと思う

 

 

 

友人や家族がいて本当に良かったとこの年になってしみじみ思う

10代の頃のわたしのほとんどは、友人は半年に一回遊ぶか遊ばないかで良かった。

何も起こってもない円満に過ごせていたのに突然友人関係が煩わしくなりリセットした事も何回もあった。

これはわたしの悪い癖で、突然理由も分からず人と関わっていたくなくなり昨日まで仲良くしていた友人や知人全てを遮断したくなりリセットする。 何もされてないし何もしていないし嫌いになったわけでもない。何故か突然そうなる。そう思った瞬間から全く会話もしたくなくなるし連絡先も消す。SNSもブロックする。

それは友人が少なくなるわけだし、人と親密になることもなくなる。逃避であった。後悔したことも何度もある。

今でもたまにすべてリセットしたくなることあるけれど抑えることが出来るようになった。

友人は難しい。友人の幸せは嬉しいし悲しいけれど、正直にいうともちろん嫉妬や妬みもあったりもするし、怒りや腹ただしさも出たりする。

それでもわたしは今いる友人が本当に大好きで生きていたら大人になっても老人になっても仲良くしていきたいしお酒を飲んだりくだらないことをたくさんしたいし笑いたい。

なんでか異性の友人が多いのだけれど最近は同性の友人もたくさん増えてとても嬉しさでいっぱいで、暇な日に家で誰からも連絡が来ずに寝て過ごしている日が段々減ってきた。

段々とわたしも変化している。

 

 

幼い頃の記憶が薄れていくように 絶対に忘れることはない 死んでも忘れない 全て鮮明に思い出す と思っていたことも、段々と記憶が薄れていく。

1年目は顔もどんな風に表情を作り話していたかも携帯の形色もどんな事を話していたどこに行ったかなど全て覚えていた。

2年目もおおよそ覚えていた。でも彼の笑った顔怒った顔がうっすらとぼやけていた。

3年目、完璧にどんな風に笑っていたかも写真を見なければ思い出せなかった。

4年目、わたしが悲しかったこと辛かった思い出しか思い出せなくなっていた。彼が話す声も正確にはわからない、顔も写真を見ないとぼやけてしまう。

探せば、ああこんな風に話していたなと思い出せるのことは分かっているけれど、あの時わたしだけに話した声はもう思い出せない

これが良いことなのかも悪いことなのかも分からない。再び会う勇気もないし決心もできない。怖い。忘れたくなかった、一生で1番心に残る出来事だったと思っていたかった

 

周りに合わせて幸せアピールをしていれば幸せになれると思ってたしSNSで充実した生活を送っているアピールをすればわたしは充実してる生活を送っていると思えると思っていた

全部間違いで勘違いだった 幸せも充実感もなくてただ毎日を消費しているだけだった

平凡な毎日、仕事をして、たまの休みには友達と遊ぶ。酒を飲む。好きな映画やアニメを観たり漫画を読む。お洒落だってしてお出かけをする。そんなありきたりのことが幸せに思えるような人生を送ろう、とは思えなくてそれならとびきり不幸でもいい

皆が言う幸せを体感すればするほど途中から作り笑いになっていることが体感出来て虚しい

何もする気になれなくなってしまう、だから何もしない けれど何かしなくてはという焦りに繋がってしまう

辛いこと悲しいこと苦しいことがあるほどに私は何かをする、忘れたいがために

悲しい、苦しい、辛い、怒り それこそが原動力になっているような気さえしている

自分とはなんなんだろうか